体験談(3)

ななみの成長記録 ~ 誕生から6歳まで ~

 

■2005年7月25日

誕生(大阪府立母子保健総合医療センター(通称:母子センター))
近所の産婦人科で診てもらっていたが、胎児の発育が悪いということで緊急入院。
入院6日目に、胎児の心拍が弱まってきたので帝王切開(34週)。出生体重1126g。
母42歳初産(父46歳)。高齢出産のため極低出生体重児になったと思っている。

 

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<写真1>NICUに入院中のころ。鼻のチューブから母乳を注入。直に母乳を飲む練習をするも、飲めず。哺乳瓶からは飲めるようになる。退院(9月11 日)後も、母乳を絞って哺乳瓶でやるばかりで、結局乳房から直接飲むことはなかった。その後、母乳から粉ミルクに移行。

 
 

■2006年4月(8ヶ月)

保育園に行き始める。粉ミルク1日計500cc摂取目安。
5月に肺炎でPL病院に1週間入院。
退院後、ミルクを飲む量が減り、1日計400ccに満たない日も。
退院後も断続的に続く熱のせいかと思われたが、体重も増えないし、大変にあせる。

 
 

■2006年7月4日~8月4日(満1歳)

いよいよ体重が減り始めたので、母子センターに入院(消化器・内分泌科)。
1日800~900ccを目標にミルク摂取。口から飲めない分は、鼻からのチューブで。
大塚製薬の経腸栄養剤『ラコール』も併用。
体重は入院中に1kg近く増えて、やれやれ(4650g → 5590g)。
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<写真2>入院中は鼻チューブが挿入されっぱなし状態。

 

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<写真3>入院中のベッドで。飲めなかったミルクはバッグに入れて、鼻から注入。退院近くなると、自宅でもチューブでの摂取が続けられるように、鼻チューブの挿入の練習をし、バッグから点滴のようにミルクを注入する要領を覚える。

 

この入院中にMRIで脳の画像をとってもらい、「脳室拡大」という診断を得た。
画像を見せてもらい、そのように診断されても、なんのことかよく分からなかったが、
結局、脳に障害があるということで、その後、身体的、知的発達の遅れが見られるようになる。

 

1歳を前にミルクを飲む量が減り、体重が減り始め、
その後、2年あまりに及ぶチューブ生活が始まったわけだが、その原因は今もって分からない。
きっかけは「肺炎で入院」だったかもしれないが、それが完治してからも、
いつまでも十分な量のミルクや離乳食を自力で摂取できなかったのはなぜか。
脳に障害があることが原因かと思っているが、
ドクターは「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。原因は何ともいえない」というばかり。

 
 

■2006年9月(1歳2ヶ月)

3か月近く休んでいた保育園への通園を再開。
退院後も入れっぱなしだった鼻チューブ(1週間に1回の交換)を、保育園へは抜いていかなければならず、
毎朝、ミルク注入後にチューブを抜き、帰宅後、チューブを挿入して、ミルク・ラコール注入、という日課に。

 

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<写真4>自宅でのラコール注入の様子。(1歳3ヶ月)

 

毎日チューブを鼻から挿入するという作業は、慣れてくるとそれほど苦労なくできてくる。
「あと数ヶ月くらいの我慢か・・・」と思っていたが・・・。

 
 

■2007年7月(満2歳)

チューブ生活も1年になる。まさか、2歳の誕生日を鼻チューブとともに迎えるとは思わなかった。
保育園の給食の離乳食も、保育園後に行く祖母宅での離乳食もそこそこ食べてはいるが、
チューブによるミルク・ラコール摂取がないと、全然体重が増えないので、チューブがやめられない。問題は・・・。

 

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<写真5>自宅でのラコール注入風景(2歳)

 

1年前と違って、じっとしていられなくなってきた。
注入が終わるまでが退屈で退屈で。
チューブを振ってバッグを揺らしてみたり、顔に貼ってあるテープをはがそうとしたり。
チュービング中は目が離せない。
早く終わらせようとして注入速度を速めると、逆流して大吐きすることになる。
そうなると、すべてがまさに「水の泡」で、大いに脱力することになる(掃除も大変だったし・・)。

 
 

■2008年3月(2歳7ヶ月)

ようやく、一人で立ち上がって、歩けるようになる。でも、まだまだ鼻チューブの日々は続く。

 
 

■2008年9月(3歳2ヶ月)

3歳の誕生日も鼻チューブとともに過ぎ、
「いつチューブが卒業できるのか」と思っていた気持ちもすっかり諦めの境地に至り、
「いつまででもチューブをやり続けるぞ」という気持ちになっている。
ななみのこの状態を説明するのに、「摂食障害」という言葉が一番ぴったりくるような気がして、説明によく使った。
「幼児の摂食に関する相談にのってくれる」という歯科医師を紹介してもらい、半年ほど通って「摂食指導」をしてもらった。

 

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<写真6>「摂食指導」と言っても、ななみの食べている様子をみて、食べさせ方や親の心がまえなどの話をきくことが中心。歯磨きの仕方も習う。「指導」を受けて、親の気持ちの持ち方などについては、多少、知識を得ることができたが、それでななみの摂食が改善した、とは全然言えない。摂食の改善は結局、本人の成長を待つしかなかったと言えるかも。

 

この頃は、食べさせることばかりに気をとられていて、ほとんど歯磨きができていなかった。
欲しがるなら何でも食べさせていたので、プリンやラブレなど、甘い食べ物、甘い飲み物が多かった。
その報いはやがて「全部の歯が虫歯!」という事態となってあらわれることに・・・。

 
 

■2008年11月(3歳4ヶ月)

チューブを挿入する際に抵抗するようになってきていたが、ついに、その拒絶態度が激しさを増し、
チューブを鼻から挿入しようとすると、絶叫して嫌がるようになったので、挿入を断念。
続ける気満々でいた母の気持ちを置き去りに、不意にチューブ生活にピリオドが打たれた。
2年4ヶ月。「いつ果てるとも知れないチューブ生活」と思っていた割には、
終わってみれば、2年4ヶ月って短かかったかも・・・?

 

3歳4ヶ月で鼻チューブ生活にピリオドを打ち、これでひとまず「摂食障害」の問題とは、おさらば、ということにする。

 

しかし、その後も大して食事の量が増えたり、安定したりはしないので、
母子センターからずっと「ラコール」を処方し続けてもらい、ミルクがわりに飲ませている。
体重はそこそこ「標準」に近づくものの、身長がずっと「標準」を大幅に下回り続ける。

 
 

■2009年4月(3歳9ヶ月)

3年通った保育園から、療育施設に転園。
あいかわらずあまり食べないが、給食などは、最後は先生に食べさせてもらって完食している模様。
自宅でも、最後はいつもこちらが食べさせて終わる。

 
 

■2009年6月(3歳10ヶ月)

もうすぐ4歳というのに、身長が84cm(4歳女児平均は 93cm~107cm)。
母子センターで「SGA性低身長症」と診断され、成長ホルモンの注射をすることになる。
自宅で毎日1回、ペン型注射器で注射する。
これは、確実に鼻チューブより長い期間の治療になるが、生活習慣の一部となってしまえば、それほどの苦でもなくなる。

 

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<写真7>4歳になって@母子センター

 

自宅でもお出かけ先でも、ラコールが欠かせない。
マグカップに入れて、いつでもどこでもお茶がわりにラコールである。
本人も、とても好んで飲む。
まぁ、これで大きくなったようなものだし・・・。
母親もこれを飲んでくれていると、すごく安心する。
相変わらずあまり食べないけれど、「ラコールを飲んでいれば、栄養&カロリーが足りてるんじゃないか」と、とても安心。

 
 

■2010年月(4歳8ヶ月)

「とにかく食べてくれ!」の一心であったため、食べたあとのことまで全然気が回っていなかった。
いわく、歯磨き。歯磨きをまともにやってこなかった報いがついにあらわれる。
20本中19本が虫歯と判明し、「堺市重度障害者歯科医診療所」というところで、全身麻酔による治療を受ける。

 

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<写真8>全身麻酔をかけられて眠りにつきました。

 
 

■2010年4月(4歳9ヶ月)

虫歯治療に「やれやれ」と思っていた気持ちが落ち着く間もなく、今度は母子センターの検診で「脊柱側弯症」と診断される。
胸のあたりの脊柱が右にゆるくカーブしているのがレントゲンで見つかった。
「特発性」と診断され、原因不明。
側弯が進行すると、肺などに圧迫して危険なので、とりあえずギプスで進行をとめるよう努力するが、
それでも進行してしまったら、いずれ脊柱を手術することになる、とのこと。ガーン。

 

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<写真9>母子センターで作ってもらったギプス
この1年後、成長に合わせて、ギプスも作り変える。

 
 

■2011年7月

6歳になったななみは、あたらしいギプスを日中、療育施設に通っているときだけ着用している。
夜にはホルモン注射を毎日。
ラコールはまだ処方してもらっていて、ミルク代わりに毎朝飲む。
体重は十分にあり、もうラコールは必要ないが、母親が「お守りがわり」に飲ませている。
目下の最大の悩みは、脊柱側弯症が進行していきそうなことである。

 
 

■さいごに

こうして振り返ってみると、「摂食」の問題に悩まされていたのは短い期間で、しかも他の問題に比べて、大した問題ではなかった。
もちろん、当時は、虫歯、低身長症、脊柱側弯症などの問題がなかったから、最大の問題ではあった。
でも、「鼻チューブを使ってミルクとラコールを流し込んで、それだけで大きくしてもいいんだ」と開き直ってからは、
むしろ離乳食作りに追われなくて楽かも、と思ったくらい。
ななみがミルクを飲まなくなって、どんどん体重が減っていった時は、
「人間には個体保存の本能があるんじゃないの!?
どうしてこの子は、死んでしまうかもしれないっていうのに、ミルクを飲まないの!?」
と、訳が分からなかったが、そういうのも含めて、ななみがもつ「障害」のせいだったのだろう、と思う。
ななみのもつ「障害」や「問題」との格闘は、今後もますます、その様相を複雑にしながら続いていくことでしょう。
しかし、まぁ、それも含めて、これが「子育て」というものなのかしら、と最近は思っている。(J)

 
 
 

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