背景
0歳
1か月
1か月検診にて心雑音が確認される。
2か月
緊急で1回目の心臓手術(BTシャント術)母乳のみで育てていたため、H君は哺乳瓶拒否。そのため手術後の水分制限は鼻チューブで行う。
3週間後、母乳での授乳が許可され、鼻チューブを付けたまま経口にて母乳を吸うが、むせて吐き戻してしまう。それから経口による母乳摂取を拒否。もちろん哺乳瓶も拒否。
4か月
鼻チューブを付けたまま退院。
根治手術を行うためには、体(心臓)を大きくさせなければいけないとのことで自宅での注入生活開始。
5か月
断乳。いつか飲むかもしれないと、飲まなくなってから搾乳を約2か月続けていたが、度重なるおっぱいトラブルに悩まされ、同時に私(母)が風邪で副鼻腔炎を発症し鬱っぽくなってきたため、おっぱいをやめる決断をする。
苦労した点・工夫した点
離乳食を始める。
ミルクを飲まなくても、離乳食は食べてくれるかもしれないと、離乳食を始めた。
1日目は1口食べたので「これはいけるかもしれない!」と思ったが、
2日目は1口も食べず、3、4日目も口を開けず、離乳食も早々に断念する。
8か月
カテーテル検査入院
根治手術できるかどうかの検査だったが、心臓もまだ小さく、根治手術できないことはないが、
予後のことも考えて今回はより心臓を大きくするための手術をしましょうと主治医から提案される。(体重8kg)
9か月
2回目の手術(BTシャント術)
カテーテル検査入院から、血中酸素濃度が少ないということで手術まで約1か月継続して入院。
年末29日に酸素持ち帰りで退院。
根治までの目標体重は11kgと提示される。
10か月
寝返りをする。
摂食リハビリのため1週間入院。
2回目の手術後、依然全く経口による栄養がとれないとの相談をしたところ、
「1週間程入院してSTの先生に診てもらおう」と提案されたため、この頃から本格的に摂食リハビリを始める。
脱感作や、受け入れやすい飲み物を指導してもらう。が、全く成果なし。
苦労した点・工夫した点
1歳
1歳5か月
ハイハイをする。
スポイトで水を飲むようになる。
暑い季節になり、お風呂上りに水をスポイトで口に入れることを何日か続けたところ、ある日からその水を飲むようになる。
1歳9か月
3回目の手術(根治:ラステリ手術)。
術後離乳食、ミルクを口にした。
手術後約2週間で離乳食に挑戦したところ、3口程度食べ、ミルクもシリンジで40cc程度飲んだ。
この時は術後で、意識があまりしっかりとしていなかったためボーっと食べたり飲んだりしていたと思う。
だんだん食べる量も飲む量も増えた。最大で1回に離乳食20口、ミルクを70cc飲んだが、
元気になるにつれて意識もはっきりし、食べる量も飲む量も減ってきた。最終的には一口も口にしなくなった。
2歳
退院。酸素も必要なくなる。
内服薬あり(シリンジで注入→チューブを抜いてからは経口)。
ミルクを卒業し、エンシュアにする。
2歳1か月
療育に通い始める。
成長も遅く、出来ることも少なかったため、少しでも成長が促せるようにと、早々に近くの療育に通い始める。
また、通う療育施設では施設内で作られる給食があったため、お友達が食べる姿を見て、
少しでも食べる意欲が引き出せればと期待した。3歳以下だったため母子通園。
2歳4か月
歩き始める。
この頃からアンパンマンジュース(野菜とりんご)を少しずつ飲むようになる。
2歳9か月
言葉が出はじめる。
つばめの会に入会。
入会コメントへの返信でたまたま同じ病気の子どもを持つ方からメッセージをもらい、
同じような境遇で飲まなくなったこと、また田角先生を受診し、抜管できたことを知り、
遠距離ではあるがすぐに昭和大学への受診を決める。
2歳11か月
1回目 昭和大学受診。
この頃はあっさり系のジュース(アンパンマンジュース等)を飲む程度。
→抜管するには液体のものでいいので、ある程度の栄養がとれる、生活するための体力が維持できるようになることが必要とのこと。
飲み物の種類を増やしましょうとアドバイスを受ける。エンシュアや牛乳等、タンパク質を多く摂取できるとより良い。
3歳
2回目 昭和大学受診。
前回と特に変化なし。
無理しない程度に種類を試しましょうとアドバイスを受ける。
苦労した点・工夫した点
3歳
3歳1か月
3回目 昭和大学受診。
療育への単独通園始まる。
よく動くようになったせいか、ジュース(あっさり系)をよく飲むようになる。
→ジュースを飲む量が増えたことは良いことと言われる。また、この子の場合は脱感作等の口内マッサージは
口にモノを入れる嫌なイメージに繋がるため、やらなくてよいとアドバイスを受ける。
3歳2か月
4回目 昭和大学受診。
少しヤクルトを飲むようになる。(ヤクルト(正規品)は他の飲料品より栄養分が良い)
→昼間の注入を一回減らしましょうと提案される。
3歳3か月
5回目 昭和大学受診。
ヤクルトを飲む量が増える(1日5本程度)。キャラメルコーンを少し食べる。
週1回のチューブ交換の際にできるだけチューブを抜く時間を増やしましょうとアドバイスを受ける
→最大3日抜く→ 特に変化なし
気づいた点
3歳4か月
療育施設で給食を口に入れるようになる
当初はペースト食を提供してもらっていたが、ある日突然お友達と同じものをよそいたがり、固形の食べ物を少しずつ口に運ぶようになる。
6回目 昭和大学受診。
ヤクルトを1日7本飲む。固形物も少量ではあるが食べる。
→チューブを抜いてもよいと言われる
所見
うちの場合は、成長の過程でしっかり立つようになり、よく動くようになったり、
療育も健常の子が一緒に保育されているのでたくさんの刺激を受けたり、周りの子が食べているのを見て
「自分も食べたい」と思うようになったりと、そろそろ食べる時期にきていたのかもしれません。
親がいない場での給食は本当に有効だと思います。
しかし、田角先生の診察を受けていたのといないのでは鼻チューブを抜けるまでのスピードも違ったのかもしれません。
もちろん田角先生を受診するまで何もしていなかったわけではなく、理学療法もSTも受けていました。
しかし、STは口の動きや食べ物のアドバイスはしていただけるのですが、
食べるようになるための注入の量や時間帯、方法を提案されることはありません。
多分、体のことは医師ではないので管理できないのかなと思います。
田角先生は実際に食べれない子を診て、その子の全身状態を把握し注入量、注入の時間帯、
何を飲める(食べる)ようになれば鼻チューブが抜ける、脱感作は本当に必要か等を具体的に指導してくださいました。
家が遠かったため月に1回しか受診することはできませんでしたが、その間も1週間に1回はメールをやりとりし、
それまでの状況(体重の変化等)に対するアドバイスをしていただきました。
結果、上手く空腹感を出すことができたことが食べることに繋がったのかもしれません。
あとは、自分自身が心がけていたことで「無理に飲ませたり食べさせたりしない、
食べなくても鼻チューブがあれば死なないや。」と少し楽観的に考えるようにしていました。
色んな本や資料を見て「食べたくないのに食べさせる」ことは何のプラスにもならないと。
自分から食べたい(飲みたい)という意思が一番大事で、
親はその気持ちをどのようにして出してあげれるのかを一番に考える必要があるのかなと思います。