背景
一度流産を経験ののち、再び妊娠。
その後、妊娠9週で胎児の首の後ろにむくみ(5mm)が見られ、3mm以上だとダウン症・心奇形の可能性があると説明を受け、羊水検査を勧められる。
検査の結果、ダウン症ではなかったが、それはそれは非常に珍しい1番染色体の異常が見つかり(世界にも数例しかないらしい)、正直どうなるかわからないと言われる(結果これによる障害はなし)。そんな中、24週で胎盤が石灰化(老化)。普通は正産期を過ぎた人に見られるもの、と言われ、今後胎児にうまく栄養が行き渡らない恐れがあると言われる。
心拍検査では胎児の徐脈(ゆっくりになる時がある)も見つかり管理入院。
入院後、お腹の強い張りと徐脈が同時に起こり、突然「今日産みましょう」と緊急帝王切開にて出産。27週6日、886gで産まれる。
退院まで
NICUに入院し、順調に体重も増えていく。
自力でミルクを飲むこともできるようになり(母乳は止まってしまった)、酸素が安定した時点で経管栄養は外れる。
その後は、哺乳力が弱い、鉄のお薬を嫌がる、吐きやすいなどがあるものの、1日トータル500cc近く飲めていたため、生後5か月で退院。
退院後
退院1日目、順調に飲めていて、1度に100cc飲んだりもしていた。
退院2日目、突然ミルクを嫌がるようなり、夜も全く欲しがらない。
哺乳瓶を見るだけで号泣し、すべてのミルク、哺乳瓶を試すが受け付けず、とにかくこまめに、2~3時間置きにミルクを与える。
それでも全然必要量に達せず、1度に20~40ccしか飲まない。
(なぜか眠い時の方が飲めた)
退院4日目、NICUに相談し、小児科を受診。
NICUで使っていた哺乳瓶を譲ってもらい、少~し飲む量が増えたものの、1か月でたった100gしか体重が増えず、医師から再び経管栄養を勧められる。
その時は体重を増やすことに必死で、体重が増えるなら! と再び経管栄養をお願いした。
(今振り返れば、少なくても口から飲めていたなら、管を入れなくても良かったのでは?と後悔している)
経管栄養を始めたら、今まで少ないながら経口摂取ができていたのに全く口から飲まなくなる。
注入が始まって1週間経った頃から嘔吐が始まり、どんどん嘔吐の回数は増えていく。次第に毎回激しく嘔吐するようになる。
ひどいときは口から管が出てくることもあった。
結局、体重が増えないから経管栄養を始めたのに、嘔吐のせいでまったく体重も増えない、口からも飲まない。
この時が一番どうしたらいいのかわからなく、辛い時期だった。
修正5か月、「ミルクを飲まないなら離乳食を試してみては」と言われて離乳食を試すも、全く口を開けず。(おもちゃなども口に入れなかった)
始めは仕方ないと割り切るものの、2か月3か月口を開けないとさすがに腹が立つこともあり、言葉もわからない子どもに、
「食べなきゃ生きていけないんだ!」「ダメなんだ!」と叱って無理矢理口に押し込み、注入物まで嘔吐させる事が何度もあった。本当に涙が出る毎日だった。
その後、食べ物を口に持って行くだけでオエオエするようになる。
逆流の検査入院をするも、問題視するほどの異常はなかった。
その入院中、ロタウィルスに感染。回復途中、初めて口を開いてペーストを5口食べた。本当に感動でいっぱいだった。
1歳
でもそんな喜びもつかの間で、治るとまた食べなくなり、体重も全然増えない。
そのため、1歳からエンシュアを使用。徐々にエンシュアのみに切り替えていく。
その頃、STに診てもらえるが、「お散歩してお腹を空かせてみては?」など……。全然期待していたアドバイスはもらえなかった。
相変わらず注入しては吐くを繰り返し、注入途中、注入後、3時間経ってから……。とにかくいつでも吐くので、出かけることすらできなかった。
エンシュアになってからは粘土のような固まりを吐くようになり、本人も顔を真っ赤にしながら苦しそうに吐くので、見ていて辛かった。
しかし病院で「食べない・吐く」を相談しても、「う~ん、なんでだろう」しか言われない。かといって通える範囲内に摂食をみてくれる医師はいなくて、このままでは何も前に進まない!と思い、自分で手当たり次第調べた。
そこで「食べる機能を育てる会」というサイトに出会い、初めて同じ悩みを持つ人の体験談を目にする。そこで摂食障害の専門医がいること、リハビリできる病院があることを知る。(このサイトでは情報交換はできず)
1歳5か月(6,290g)
茨城県立医療大学病院で、初めての摂食リハビリ母子入院。(2か月間)
最初の1か月は人見知りもひどく、慣れることでいっぱいいっぱい。
しかし、徐々にOTの先生が与えた時だけ食べるようになり、食べない時はひたすら下唇にペーストを付けてなめさせるという手段を取る。
その後母からの食事も口を開けるようになり、ペースト食を平均4割食べられるようになる。ただ、少しでも粒があれば嘔吐。
注入物は、吐きがひどいことからラコールとエレンタールPを交互注入に切り替わる。(ラコールやエンシュアはそもそも大人用に作られているので、カロリーは高いが小さい子どもには負担が大きいのかもしれない、という医師の見解だった。気持ち、吐きが落ち着いたような。)
*当時の注入量
朝食後:120cc / 昼寝時:200cc / 夕食後:120cc / 23時:200cc / 4時:180cc / total: 820cc
(寝ている時は吐きにくかったため、その間にたくさん注入。でも眠りが浅くなると大量に嘔吐。)
1歳7か月(7kgで退院)
入院中のPTのお陰もあって、ようやくハイハイ、つかまり立ちができるようになる。
周りの人におだてられると食が進み、すごい時は7割食べたこともあった。
もう退院しても大丈夫だろうと、2か月間の入院を経て退院。
しかし、退院した次の日、全く口を開けなくなり、嘔吐もひどくなる。
退院後は自宅が遠く茨城県立医療大学病院とは関わることができなかったため、また孤独な戦いが始まる。
その後は全く食べない、注入の嘔吐が続く……。
その頃、少しずつ言葉が出るようになり、栄養面が心配になる。
毎日同じ栄養、作られた栄養で、発達に問題はないのか??と。
自己流で、エレンタールPにごはんやおかずを入れ、ミキサーで混ぜ何度も濾したものを注入するようになる。
2歳2か月
ようやく歩けるようになる。
歩けるようになったことで、お腹が空く事を期待したが、変わらず。
2歳5か月
少しずつ吐きが治まってくる。
大人のごはんに興味を持つようになり、自分の手にごはんをつけて、なんと口に入れた。
始めは1粒でオエオエし、嘔吐につながったけど、手づかみ食べはチャンスだ!!と思い、毎日大人のごはんを手の届くところに置いた。
徐々に1粒を吐かずに飲み込めるようになり、そこから3粒、5粒と食べられるようになる。
その後「ばかうけ煎餅」限定でかじるようになる。(赤ちゃん煎餅など味のないものは食べない)
*その頃、自分の体力もきつくなり、朝方の注入を勝手にやめてしまった。注入回数5→4回に。
2歳7か月(8,200g)
半年待ちで再び茨城の病院に入院。
注入量を100cc×4に減らす訓練。→少し食べる量が増えるものの、熱を出し体調を崩す。
体調の回復とともに食べる量が増え、刻み食を2割近く食べられるようになる。
納豆やゼリー、麺類、せんべいなど、好きな物ができる。
ゼリーは1パック食べきったこともあった。
その後病院食に飽きて食べる量が7口程度になる。
医師に飢餓訓練をお願いする。私はそれに望みをかけていた。
注入を一切やめ、寝ている間に点滴(ソリタ)。←結局点滴で水分を補っているので、飢餓訓練と言えるのか? と疑問だが。
数日後点滴の周りがじゅくじゅくし出し、じんましんが出る。
高熱が3日続き、たった4日で飢餓訓練が終了する……。
食べる量に変化はなく、体重が減るだけ減って終わった。。
入院中近くの開業歯科を紹介され受診する。
「この子は絶対食べるようになる子だから。今はしっかり注入してきちんと体重を増やすべきだ」と言われる。
しかし私のなかでは、注入を増やせば、さらに食べなくなるのでは?依存が進むのでは……と不安だった。
結局注入量を増やして退院。→遠方の自宅に帰る。
環境の変化が良い方向に進んだのか、ごはんを20g近く食べていた。
しかし、私と2人のごはんが続くにつれ食べる量は減り、現在も7口食べればいい方に。
3歳2か月(9,200g)
子どもの体力もついてきたので、気になっていた昭和医大を受診。(実家から片道2時間)
医師は「管を外したい」という親の一番の思いを理解し、注入量のコントロールをしてくれた。
やはりめいっぱい注入をしながらバクバク食べるようになるのは難しい事だ と言われ
体重が減らない程度に、注入を減らすよう言われた。
その結果、「欲」が出始めた。
「あれ食べたい」「これ食べたい」と言うようになる。(言う割に食べないが)
現在食べる量は毎食5~10口程度で、大きな変化とはいかないが
水分の経口摂取量は確実に増えている。
現在1日total 180cc程度飲める。
*現在の注入量
朝食後:150cc / 昼食後:120cc(医師判断で減) / 夕食後:150cc / 就寝時:260cc / total:680cc
1日の必要カロリーは全然足りていないため体重は増えていないが、今は注入を増やすことより食べる量が増えること、空腹を感じることを一番に考えている。
疾患は心臓に2つ→経過観察中。
最近になり自閉症の診断もついてしまったが、言葉も増え、元気に走り回っている。