背景
2006年12月30日、31週5日578gにて出生(子宮内胎児発育遅延にて安静入院していたが発育みられず、胎児心拍低下あり、帝王切開)
女の子(母は元看護師)
NICU入院中、日齢88日で直母にトライしたもののまったく吸えず、哺乳瓶でもうまく飲めなかった。
そのため搾乳して胃チューブから母乳をあげていたが、体重増加不良のため、ミルクと併用していった。
入院中に診断された病気、治療 ※入院期間は4か月半
- 未熟児網膜症、レーザー治療施行
脊髄係留がみつかり体重増加を待ってオペをするように言われる(膀胱直腸障害、歩行障害の可能性があることを告げられる) - くる病、多発骨折
- 脳室周囲白質軟化症
- 鼠径ヘルニア
退院後
退院直前に哺乳瓶でミルクが飲めるようになったため、胃チューブを抜去して退院。哺乳瓶の乳首にこだわりがあるようで、市販品では飲むものがなかったので業者と連絡をとり、何とか入手してから退院した。
退院後もお腹が空いて泣くということがないため、時間をみて直母の練習後、哺乳瓶で搾乳した母乳やミルクを与えた。
夜間は泣くことがないため、目覚ましをかけて3時間ごとに哺乳瓶で与えた。
寝ている時の方が哺乳瓶からの飲みは良かった。
日に日に搾乳した母乳もミルクも飲まなくなった(ミルク、哺乳瓶、乳首は当時出ていた全メーカーを試した)。
音楽やおもちゃで興味をひきながら、その隙に何とか飲ませていた。
NICU退院後21日で、自力哺乳のみでは不十分と判断し、医師との相談の結果、胃チューブを挿入して経口哺乳との併用となった。
生後6か月、修正4か月
療育機関へ相談し、歯科の摂食指導医に診てもらい、「吸綴力に問題なく機能的には問題なし。無理せず、飲めない分は注入するように」と指導を受けた。
その頃より、哺乳後嘔吐する回数が増えてきた。
生後7か月(修正5か月)
小児科医師より「ミルクを飲まないなら離乳食を開始するように」と指示されたが、離乳食もほとんど食べず、何とか食べさせてもすぐに嘔吐した。
摂食指導を受けている時や療育機関の人が見ている時は何故か吐かなかった。食形態が悪いのかと思い、内容も形態も色々試すが食べなかった。数口やっと食べたと思いミルクを与えたら、ミルクとともに嘔吐した。
外来で小児科医師に何度も相談するが「赤ちゃんは吐くものです。体が大きくなってくれば吐かなくなります」と言われた。
生後9か月
脊髄係留オペのため入院。
退院後から毎日嘔吐するようになり、胃チューブも一緒に飛び出てくるほど激しい嘔吐を繰り返した。そのつど、バスタオルでグルグル巻きにして体を固定し、チューブを挿入し直した。
母はノイローゼ気味となり、嘔吐する我が子をみては、怒りが込み上げるようになった。嘔吐後に泣いている我が子と一緒に泣いていたこともしばしば……。
体を大きくすれば嘔吐しないと医師に言われるが、毎日嘔吐してしまっていている我が子は体重が増えないじゃないか、というジレンマで苦しかった。
泣く我が子に、無理やり口をこじ開けて離乳食を押しこむこともあった……。
摂食指導を受けながら、食事体位や食形態の工夫を試し、日々を過ごした。
口腔内過敏もあったため、脱感作療法を教わった。
食事が楽しくなるようにと指導を受け、食器を変えた。母もニコニコするよう心がけた。
1歳2か月
あまりにも嘔吐の仕方が尋常ではないので嘔吐時の様子をビデオに録画し、医師にみてもらった。
(母は食道狭窄症を疑っていたので、食道造影をお願いした)
渋々検査を了承してもらい検査を行った結果、下部食道狭窄症がみつかった。
1歳4か月
食道狭窄解除術施行(食道吻合、噴門形成、幽門形成、胃ろう造設)。
手術後一時的に食道の安静をはかるために胃ろうを造り、1か月くらいで胃ろうは外れるだろうと言われた。しかし、手術後も経口摂取は進まなかった。
手術すれば食べられるようになると言われていたのに食べられない我が子を見て、母はさらにショックを受けた。
手術後の食道に問題はなく、「今まで毎日のように嘔吐していたことで食事へのトラウマから食べないのだろう」と摂食指導の歯科医に言われた。
手術により胃食道逆流症が起きないように噴門部を縛ってあったため、嘔吐することはできなくなったのだが、胃ろうからエンシュアを注入していたところ、注入中から冷汗、嘔気がみられ、ぐったりすることが多くなった。
医師に相談すると、注入の速度や回数で調節するよう指示があった。それでも改善みられず再度相談したが、病院で医師の目の前で注入しても同様の症状が見られなかったため、解決策が見つからなかった。
そのため、入院し注入を行って過ごして症状がみられるか試す、が同様の症状は見られなかった。
そこで、母は血糖値測定を依頼した。するとエンシュア注入後の血糖値が20mg/dlで、ダンピング症状(食物が急激に腸に流れ込むことで低血糖となり、冷汗、嘔吐などがみられる)が起きていたことが判明した。
ダンピング症状をおきにくくするために、高タンパク質メニューの注入が必要になった。そのためエンシュア等の市販品は使えず、家族と同じ食事内容のものに粉ミルクを混ぜてバーミックスで半ペースト状にし(完全なるペーストにすると胃からの流れが速くなりダンピング症状が起きる)、シリンジに詰めて注入した。
注入スピード、間隔等を施行錯誤した結果、ダンピング症状のおきない方法を見つけ出し、摂食訓練と併用しながら栄養状態をキープしていった。
(自己血糖測定器を購入し、ダンピング症状がおこるタイミングと低血糖の状態を把握した)
療育、摂食訓練等に通ったが大きな進歩はみられず、「機能的には問題ない」と言われ過ごした。
2歳3か月からの1年間
みんなと同じ給食を食べる経験をすれば食事への興味が出てくるのではないかと期待して、週3日、統合教育をしている園へ通い始めた。
週2日は区の療育センターに通った(こちらは弁当のみ)。
2歳7か月
茨城県に摂食障害に詳しい歯科医と看護師がいるとのことで、診察を受けに行った。都内の摂食障害に詳しい小児科医の診察も受けた。
どちらも「機能的には問題ない、いつかは食べられる」と言われた。
3歳2か月
初めて給食を完食できた。
注入は毎食後と夜間に行った(夜間は低血糖予防のためにソリタT3を注入した)。
3歳3か月から
幼稚園に通い始めた。
お弁当はとっても小さいお弁当箱に極少量詰めていくが、それを食べるのにも1時間近くかかり、時間いっぱいまで食べているような状態だった。
朝食後と夕食後、夜間のみの注入として、日中は注入回数を減らしていった。
経管栄養依存症になっているため、注入回数を減らして空腹感の体験をしていくが、低血糖が起きる可能性が高いため、見極めが大変難しかった。
3歳5か月
朝食後のみ注入するように指示があった。
3歳9か月
いきなり朝食をパクパク食べ始めたことをきっかけに朝食後の注入もなくなり、胃ろう注入なしの生活が始まった。
4歳2か月
胃ろう抜去可との指示があり、本人も「もう胃ろういらない」と自信がついたため、抜去した。
今も少食、偏食ではあるが、自力摂取のみで少しずつ体重も増えるようになってきた。
食事には2時間以上かかることもしばしば……。
飲み込まずに口腔内に溜め込みぼんやりとしていることもある。
(食事時間については今後改善していかなくてはならない課題のうちの1つ)
食べ物の好み
好きな食べ物
手羽先煮、サンマの塩焼き、鶏肉の炊き込みご飯、いくら、サーモンのお刺身、ゼリー、かっぱえびせん
嫌いなもの
白いご飯、牛肉、豆類、卵料理、ウィンナー、パンやバウンドケーキ、クッキー等の粉からできている食べ物、ひき肉からできている料理(ハンバーグやミートボール等)その他たくさん……
親の気持ち
原因不明の嘔吐時代が一番苦しかった。
毎日食事の時間が恐怖で仕方なかった。
親戚からも、離乳食の内容が悪いとか、おいしくないとか、あげかたが悪いななどと言われ、医師からも「吐くものです」と言われ、誰も自分の味方がいないような気がして、孤独と不安で押しつぶされてしまいそうだった。
同様な症状の子どもに療育機関でも病院でも会うことがなかったことも、孤独感を強めたように思う。
原因がわかってからは少しずつ母の心も落ち着いたが、今でも「また食べなくなるのではないか?」という不安がつきまとう。
嚥下機能障害4級の障害者手帳を保持しているが、この障害での手帳は我が子のような摂食嚥下障害の子を対象にはしていないので、結局注入に関する備品も全額自費で過ごしていた。
今は、胃ろう抜去後の傷跡に子どもが悩んでいる。
今後は1つ1つ親子で向き合わなくてはならない課題にも取り組んでいきたいと思う。
追記(2017年4月):10歳
10歳になった。地域の支援学級に通っており、身長132cm、体重23kgと、細い体は変わない。
4歳で胃瘻抜去後、1度も脱水になることもなく、体調を崩しても医療のお世話になることなく過ごしている。
今では食べられない物は何もなく、学校で提供される給食も、牛乳を含めて全量摂取している。(刻むこともせず、調理されたままの物を摂取できる)。
ただ、食べる時間はゆっくりなことが多い。
好きな食べ物を問うと、「焼き肉、お寿司、お好み焼き」と答え、嫌いな食べ物を問うと、「ない!」とのこと。
私が感じているのは、甘い物よりも塩気のある物を好む傾向にあるようには思うが、当時あれだけ食べられる物がなくて困っていたのが嘘のように、今では本当に何でも食べることができる。
去年1年間は学校を1度も休むことなく皆勤賞で、体は驚くほど丈夫。地域のボーイスカウト活動に参加しており、アウトドアを楽しむ積極的な女の子として育っている。
今でも、過敏が残っているのかなと感じることは、耳鼻科の診察が極めて苦手な点。鼻腔周辺を触られるのを嫌がるのは、鼻にチューブが入っていた時の嫌な気持ちが残っているのかなと思う。
飲まない、食べられない、嘔吐を繰り返していた当時は、今思い出してもつらい時期だった。
今は当時の話を子どもと話すこともでき、「お母さんが作ってくれるご飯はいつも美味しいよ」と伝えてくれる。
10歳になって、最近やっと親子で食事を楽しむということができるようになってきたように思う。
今後、第二次性徴を迎えた時に、食の変化があるのかもしれないが、「もう大丈夫!」と私は思っている。
体験記を読んでくれているみなさまへ
渦中の方々は、大変な毎日を過ごしていることと思います。当時、私は周囲に同じような体験をしている人がいなく、また、この子は将来食べられるようになるのか?と不安な毎日を過ごしていました。
10歳の我が子は何でも食べられます!
少しでも皆様の希望につながりますように。